皆さん、新年明けましておめでとうごうざいます。
制作部の川村です。
今年は9連休と長い連休でしたがいかがお過ごしでしたか?
私は無事初詣も行けておみくじは「大吉」でした☆
いい一年のスタートをきれた気がします!
本日は、【12/5】に行われたココシス役員による講演会の内容をご紹介します。
この講演会では、20代の若者に向けて「役員陣がどう歩んできたかや、自身の20代と比べて自分がどう歩んでいきたいのか」などライフラインを通して考えさせられる内容となっています。
登壇者は三浦潔香さんです!
これまでの人生経験を話してくださいました。
【幼少期時代】〜12歳
幼少期は引越しを繰り返したことです。なんと5回も!?
そんな人生の始まりには、働き者の母と5歳年上の姉の存在が。また、小6で義父ができたこと。きよかさんは父のことを、「ダメなことをしたら力で説得する昭和な男」と話していました。
小学生時代から働きもののきよかさん。早朝から新聞配達の手伝いをした思い出や、母と一緒に人形のスカートを作った記憶が、手先の器用さや忍耐力を育んでいったそうです。
5歳上のお姉さんとの喧嘩で「壁で頭を打ちつけられ出血」はかなり衝撃でした!!なんてパワフルな家族でしょうか...
【反抗と葛藤の中高時代】〜18歳
中学生では卓球部に入部したそうで、部長に推薦されることに。
ですが当時のきよかさんにとっては、その責任感に耐えられず大泣きしたそうで...楽な道を選ぶ傾向があったと語ります。
また、姉と母の影響で服飾の道を志すようになった時期でもありました。だた、レールを引く母に対し反抗心が強く、親と大喧嘩を繰り返しながら自分の道を模索。
【短大でアプロとの出会い】〜20歳
香蘭短期女子大へ入学したきよかさんは、短大2年生でのアプロとの出会いが人生の転機に。
日雇いバイトで遊ぶ日々だったきよかさんですが、どこに行ってもピカチュウの着ぐるみを来た人が出没していたそう。笑(当時のアプロメンバーだそうです。)
この生活を続けてたら、お金はなくなりこのまま腐っていくんだと思ったきよかさん。
遊ぶ日々から脱却し、真剣に仕事と向き合う決意を固めた頃、警固公園でサム(アプロ生)との出会いをきっかけにIBBココシスの事務所を訪れることになりました。
教訓を見てヤクザの事務所かよ。っと思ったそう....笑
当時、釘宮さんがきよかさんの話を真摯な聞いてくれ心を打たれ、アプロ時代をスタートさせます。
【忍耐力と成長のアプロ時代】〜21歳
ここから社会人がスタートしたきよかさん。
アプロでは、朝8時から夜11時まで働く日々。ロザリアンコーヒー(店長;坂田さん、レオさん)で遅くまで働くことでやつれるきよかさん。(社畜な毎日ですね....)
毎日帰りの遅くやつれたきよかさんを見て、父から相当怒られたとのこと。
また、カフェで元気よく挨拶したらレオさんに「は?見てなかったと?」と初日に言われるなど...
厳しい環境では八方美人が通用しないことを学んだそうです。
ただ、やめなかったのは、熱量高い仲間と、「悩んだら一歩踏み出せ(アプロ教訓)」が心に残っていたことでした。
幼少期に備わった忍耐力も強みとなり、会長に「コールセンターきなよ!」と言われ2005年8月さくらフォレストに入社しコールセンターへ。
できる先輩に囲まれ劣等感も感じていたそうですが、それでも自分にできることを考え続け「先輩の言葉を聞き逃すまいと1言1句メモ」していたそうです。
「私にできることは電話だ」と電話をし続けたら、カニシ様というお客様と掘り起こし(定期を解約されたお客様)と出会いました。
カニシ様は今でもさくらのファンで続けてくれているそうで長年の付き合いになります。
そんなコールセンター時代で忍耐と行動力で道を切り開いていきます。
【リーダーとしての苦悩と学び】〜23歳
2〜3年目の時期に、亀山堂のリーダーに指名されました。アプロで学んだ教訓「ノーは言わない」を胸に、「はい」と答えることでリーダーを引き受けましたが、人の悩みを解決し仲裁することの難しさに直面したそう....対立する二者の間に立ち、新しい案を生み出す(第三の案)重要性を学びました。
またこの時期、きよかさんは特に心が荒れていた時期で、自己嫌悪や自信を無くすことも。
中でも中矢さん(コールセンター仲間)との衝突が大きな出来事でした。責任感から無言の圧力をかけてしまい、相手に被害者意識を与えてしまう自分の態度を振り返り、自分の行動が気持ち悪いと自覚。
合宿の際にスワンボートで中矢さんに謝罪する機会があり、当時の彼が仕事ができる状況ではなかったことを知りました。この経験を通じて「謝ることの大切さ」を痛感しました。
その後、自分の思考の仕方を変えることを決意します。「否定されてもトライすること」「ダメな時は思いやコミュニケーションが足りないのではないかと考えること」を実践し始めました。
【コールセンター事業の成功と結婚】〜25歳
4〜5年目では入籍し、結婚式を挙げたそうです。
結婚式では、義父を初めて「お父さん」と呼び、感謝の気持ちを伝えることができたといいます。(お父さんは大泣きしたでしょう)
同時に、コールセンター事業を立ち上げ、売上100万円を達成。これにより、さくらフォレストで長く働き続けるための「5年卒業の呪縛」から解放されました。
「コールセンターは天職」と感じ、以降もその道を信じ続けます。
当時は社外結婚が珍しかった時代において初の社外結婚者となり、夫の心配やライフスタイルの変化に悩むこともありましたが、新しい働き方として遅番を導入。柔軟な姿勢で生活と仕事の両立を目指しました。
また、マネージャーが退社する際に「CCを任せられるのはきよかちゃん」という一言をもらい、自分が認められたこと、そしてコールセンターへの自信を深めたといいます。
仲間とともに変化を楽しみながら新たな挑戦を続ける日々でした。
【チーム運営の試練と学び】〜27歳
6〜7年目にかけて、チーム運営に関する試練と学びが多くありました。他チームとの比較に苦しみながらも、「ワクワク予算」の実現など、さまざまな挑戦を楽しむ姿勢を身につけます。
一方で、義父が認知症を発症し、「仕事、嫁としての役割、介護、自分のやりたいこと」が重なり目まぐるしい日々を送っていました。
その影響で、当時の彼女は不機嫌そうに見えていたと振り返ります。
また、チームメンバー同士の不満が高まり、自分のリーダーシップがチームに負担を与えていることを痛感しました。
さらに、お客様を蔑ろにするメンバーの行動に対して激しい怒りを感じたこともありました。そのような中で、あかねさん(コールセンター仲間)から感情整理の方法を学び、リーダーとしての在り方を見直すきっかけを得ます。
当時は完璧主義に囚われており、その責任感がチーム全体に緊張感を与えていたそう。
しかし、「黄梅桃李」という言葉に出会い、人それぞれが持つ個性を尊重し、花を咲かせられるようにサポートする大切さを学びました。そして、ユーモアを持ち、人にいじられる柔軟さを身につけること、悩んだときには一歩踏み出す勇気を持つことを自分に課しました。
きよかさんの言葉や、行動には「黄梅桃李」が軸になっているのを感じます。
【ココシス取締役への挑戦とウエディング事業立ち上げ】〜37歳
10年目、私はココシス取締役選挙に立候補し、見事に取締役に。この選挙で掲げたのは「通販以外での柱を作ります」という宣言でした。
その一環としてウエディング事業を立ち上げる準備を開始しました。
当時、代表になるか悩んでいた時、「自分の中に答えがあるんじゃないの?」と言われた言葉を覚えているそうで、
悩みの答えを外に求めるのではなく、自分の心の中に探すという視点が与えられたのです。
また、設立の過程で、個性豊かな6人に「〇〇だったらどうする?」と相談しました。返ってくる答えは皆バラバラで、最終的には「決めるのは自分」だと気づいたと話ていました。
この経験は、リーダーとしての覚悟を深めるきっかけになりました。
そして、ウエディング事業はレオさんから「期限を設ける」という提案をいただいたことでスピード感を持って進めることができたそうです。
そんな、ウエディング事業スタートし準備中に義父が他界。
介護を続けるのか、それとも事業を優先するのか--その選択に迫られました。
この時、夫からも心配の声をかけられましたが、私は「仕事が私の活力であり、自分の人生を歩みたい」という強い信念を持って、両方を選ぶことを決意しました。
「どちらかを選ぶのではなく、どちらもやる。」この決断は簡単ではありませんでしたが、結果的に私の価値観をより明確にしてくれるものとなりました。
32歳、さくらの樹の社長として新たな一歩を踏み出す。
この時、会長が私を紹介する場面で、「義父を最後まで介護し見送った子なんです。逃げ出さずに真っ当した子。だから社長になることを応援している」と言葉を添えてくださいました。
その言葉がパートナーさんたちの信頼を得るきっかけとなり、きよかさん強い支えを感じたそうです。
しかし、立ち上げ当初は安定もなく厳しい日々が続きました。新卒で入った2人が途中で辞めてしまい、わずか8人という小さなチームで進む状況。
不満の空気が漂う中、それでも少しずつ前に進む努力を続けました。
最初の結婚式を迎えたとき、新郎から「鬼のフィードバック」を受たこと。
恐怖と逃げられない責任感に押しつぶされそうになりながらも、それを受け止めることで成長に。
また、親友が二人目を妊娠したとき第一声に「おめでとう」と言えなかったこと...「人をもののように扱っている」と自分を振り返る瞬間がありました。
それ以来、「第一に仲間に素直におめでとうと言える人でありたい」と意識するようになりました。この決意が私の人間関係を大きく変えるきっかけとなりました。
そして、母が病気になり11月に他界。その時感じた喪失感は大きく。
ただ、お客様のいろんな人生にふれたこと、仲間にさらけだすことができたこと。たくさん協力があり、母の余命の時間と自分の人生の時間を大事にできたそうです。
そこからウエディング事業は着実に売上実績を出していきました。
黒字化まであと4年.....
順調と思えた!そんな矢先、コロナ禍により、ウエディングの中止、延期。
きよかさんはウエディング事業を終えることを決意します。
今でも、思い出すと想いが込み上げるため、これまでを綴った動画で思いを伝えてくれました。
(ウエディング事業 さくらの樹の当時の写真)
ウエディング事業(さくらの樹)という夢と挑戦を通し、
「視点を増やす」「視点をもらう」「自分の視点を持つ」という意識を大切にし、他部署を知り、お客様の強い思いを聞く中で、少しずつ前に進む力を得たこと。
「悔しい思い、幸せ、温かさ」これらの活動経験は、人生の宝物そのもの。
また、「人生には波がある。その波をなだらかに捉えられるようになればいい。」会長のこの言葉が、私の心に深く刻まれているそうです。
自身の浮き沈みを理解し、その波に対処する力を身につけることで、前進し続けられるようになり、さくらの樹を通じて出会った仲間たち、支えてくれたパートナーたちに感謝しながら、これからも新しい波に向き合っていきます。
そして、その波の中で得た学びや絆が、私の人生を豊かにしてくれる財産であると確信しています。と話し講演会を終えました。
きよかさんの人柄は壮絶なストーリーの背景にあることを今回の時間を通して知ることができました。
そして、いろんな感情に触れる会だったと感じます。すごく貴重な時間をいただけました。