みなさんこんにちは!制作の川村です。
先週は弊社代表取締役(高島励央)による講演会がありました。
地村さん(ココシスリゾート社長)と励央さんの対談形式で
これまでのキャリアストーリーを振り返るという内容でした!
参加人数はなんと100名以上!!と大きな会となり、
「私たちも励央さんの過去は初めて聞くぞ!」っと会場は前のめりで興味津々。
講演会では、励央さん意外な経歴が見えてきました。
スライドで当時のことを振り返る励央さん。
現取締役の高島レオは福岡県で生まれました。
(子供の励央さん可愛い〜)
こちらは福岡大学時代の励央さん。
(「んんっ?誰だ!?」ちなみにこの時のレオさんがモテ期絶頂だったとか。)
大学時代の励央さんは焼き鳥屋のバイトをしていて、
ある日レジ締め時に売上金が収まり切らないのを見て「飲食、儲かるな!やってみたい!」と思いました。
それから飲食店経営をすることが当時の夢になったそう。
この夢ができたことが、この今の励央さんにつながる第一歩になったようです。
(だから今も肉料理が好きなのか、、よく焼肉屋行ってるしな・・・と心の中でぼやいてました。)
そこから、新人バイトの中尾くんに「経営やりたいならアプロどう?」と言われ、講演会に行ってみることに。
励央さんの経歴の中で大きな経験となったのがアプロ時代だそうです。
※アプロとは人材開発研究所で未来の社長を育成する企業のこと
アプロでは様々な業種へ派遣されることに...
まず初めに、パチンコ屋に派遣されました(当時21歳)
そこでは、住み込みで夜中3時まで働き、休憩時間中は気絶してしまうくらいの労働をこなす日々。
パチンコ店で起こるいろんなトラブルなどはもう他のアプロ仲間が率先的にやってリーダーシップを張っていて、
「自分は頑張っているただのスタッフに過ぎなかった。主体性を持てていなかったなあ。」
と当時を振り返っていました。
パチンコ店ではスロット玉の整列が誰よりも得意だったそう。笑
パチンコ店は経営破綻で倒産してしまい、次の仕事が舞い込んできたそうで...
それは回線系飛び込み営業。
前職とは違う業種に励央さんも苦戦。
「どうしても取れない。営業苦手〜。」
そこで励央さんは自分と違って行動力も熱意もある他の人たちとの差や、
同じくアプロに所属していた西尾さん(現取締役)に対しても劣等感を感じることもあったそうです。
ただ、西尾さんに支えられる場面もあったそうでエピソードを思い出して感情が湧き上がる場面も。
今の西尾さんとの絆の深さは、これまでの道のりを共に歩んだ戦友だったからなんだと
私たちもそんな励央さんの姿を見て胸が熱くなりました。
それからも、カフェ経営や、着物販売、アパレル業、マルイ堂など
他業界の仕事を通して経験をしていく励央さん。
特にマルイ堂では、突然の東京拠点となり現地で店長に就任。
レジ作業をするも現地スタッフに「レジやるから代わって!」と肩身の狭い励央さんだったそう。笑
段々とスタッフともコミュニケーションがとれてきて、関わりは良好に。
売り上げを伸ばすことができなかったけど、人との関わりを学べたと話していました。
そして、30歳でココシス入社を決意し、亀山堂コールセンターに所属することに。
(左奥の作家さんのような見た目をしている方です。)
なぜか頑なにココシス入社を拒むレオさんに対し、西尾さんは入社したら励央さんの役割や仕事を勝手に進めていたそうです。笑
そこで、現在のさくらの仲間と出会いコールセンター受託で売上を立てていったそうです。
自分のできる自己ベストを尽くし、役職関係なく経理総務やリーダーシップを発揮してた励央さん。
「別に、社長になりたいと当時は思ってなかった〜。」と励央さんは話してましたが
過去の「やり抜く根性強さ」「お願いされたことに対してALL YESで向かう姿勢」は
仲間にとっての大きな信頼になっていったんだと思います。
また、もう一つ感じたことは「仲間」という存在です。
「劣等感は感じながらも、仲間のことはすごいなと思うし、ムカつくとも思うし、でもやっぱり尊敬してる。こいつらと一緒に頑張っていきたいから俺もやらなきゃな」
この気持ちが励央さんの大きな原動力となっていたんだと思いました。
以前はお金がないために、クレジットカードを作成できてなかったのですが30代で代表取締役になり
「みんなのおかげで、やっと法人でクレジットカードを作れたことが嬉しい」と喜んでいました。笑
人は、才能で夢を掴むのではなく、日々のあり方や自己成長のために失敗と成功をし続けることをこの会を通して
再確認できました。
そして、チャレンジできる環境って本当にありがたいなと思い、皆に「勇気を与えてくれる」そんな会になりました。
貴重な時間となり、たくさん赤裸々に話していただき感謝です。励央さんありがとうございます。